プロフィール

こんにちは!
悩みの真因を解除し、新たな未来を開く心理セラピスト 天野静伽です。

こちらのページにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
あなたの悩みに寄り添い、一緒に歩んでいくお手伝いができたらと思います。

セラピー=心理療法は、相性も大切です。
気が合いそうか、あなたの大切なお話をしてもよい相手なのか…

恥ずかしながら、私の略歴・人生模様を記しました。
参考になれば幸いです。

<略歴>

・196X年、地方都市で長女として生まれ、引っ越しの多い幼少時代を過ごす。

・幼い頃は悩みもなく、手のかからない「いい子」。
 状況や人の気持ちを先読みするタイプの、親に言わせると「自慢の子供」。

・小学校高学年ごろから、自分でも原因が理解できないまま、
 周囲とのコミュニケーションの取り方が、まったくわからなくなる。

・中学校の転校をきっかけに、さらに周囲になじめず孤立する。
 とにかく生きるのが苦しい。一人で透明なダンボール箱に閉じ込められた感覚。
 そしてどん底のような孤独感、飢餓感。
 (後日の自己診断では離人症+神経症のような状況)

・年齢が進むにつれ、親との関係性に問題があることに気づく。

・人との距離感がつかめず、苦しさからお酒に逃げたり、人に当たり散らすことも。
 自分の女性性もうまく表現できず、暗く不器用な日々を送る。

・大学では心理学・教育学を学び、その後一般企業で働くかたわらで、
 「私の人生はこんなはずではない」と様々な心理療法を手当たり次第に学ぶ。

・30年間で、さまざまな優れた技法に触れ、少しづつ生きるのが楽になり、
 心理療法家=セラピストを志す。

・しかし心の奥底で、他人に緊張し打ち解けられない悩みが残る中
「ビリーフチェンジセラピー」に出会う。

・その1回のデモセッションだけで、他人への違和感が軽減、心から笑える自分を発見。
 最強の心理療法だと確信し、技術を習得してセラピールームを開始する。

・今では「ビリーフチェンジセラピー」を中心に、イメージワーク、ヒーリング、占いを活用。
心から自分でいること、かけがえのない自分を生きることの喜び「自分無双」の感覚を目指した
セッションを提供している。

より詳しい人生模様はこちらです
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親のお気に入り、よい子の子供時代から、
原因不明の孤立感へ

子供の頃は両親が大好きで、いつもほめられたくて、一生懸命のよい子でした。
よいお姉ちゃん、気が利く子、勉強のできる子でいられるようがんばっていました。

しかし、小学校高学年の頃から、他の人といるときに、何の理由もなく
ひどく違和感や孤独を感じるようになりました。

自分が何を考えているのか、何が嬉しくて悲しいのかよくわからない。
周囲の友達が何を考えて何を感じているのか、何が真意なのかもわからない。

「この子、なんで笑ってるんだろう?」「みんな何を騒いでいるんだろう?」
とにかく現実感がない。手が届かない。
感情のわかない人形になった、今にして思えばそんな感じでした。

ただテストの点がよくて親にほめられるとか、部活で先輩にほめられるとか、
何か成果がある時だけは生きている気がしました。

引っ越しをきっかけにどんどん一人ぼっち、
いじめ、息ができないような孤独感へ

公立中学に進み、それでも小学校の友達がいたおかげで、かろうじてバランスを保って日々を過ごしていましたが、父の仕事の都合で別の県に引越します。

新しいクラスでは、話しかけてくれる子たちもいました。なのにどうやって対応したらいいかわからなくて会話が続かず、だんだん孤立していきました。

クラスメートからは相手にされなくなり、持ち物を壊されたり、体型をからかわれたりと、いじめにも遭いました。

自分の身を守る意味もあり、先生のお気に入りとなるべく、ほとんど口も聞かず、ひたすら勉強していました。ガリ勉の嫌な奴だったと思います。

人は人との間に見えない壁があり、何を言っても届かないし、ちょうど透明な段ボールに閉じ込められて、息ができないような感覚の中にいました。

寂しくて、心が飢えていて、でもどうしたらいいかわからなくて、混んだ電車で知らない人に挟まれていると、温かくてホッとする…そんな毎日でした。

でも自分がそんな有り様であることは、父にも母にも話しませんでした。


仲間意識が暴発して嫉妬・暴言、
アンバランスな自分に辟易する学生時代

高校は、進学校に進み、運動部にも入りました。

そこは強豪校で、厳しい練習の中でいやでも仲間との接点が深まり、ここで初めて仲間意識を持つことを経験しました。

しかし今度は、愛着のある友人が誰かと仲良くしているとひどく嫉妬して暴言を吐いたり、友人を束縛して結局嫌われたりしました。

ちょっと人と仲良くなれたことが嬉しすぎて、孤独の反動でバランスが崩れた行動を取ってしまい、ずいぶん周囲に迷惑もかけました。

時々暴発的に怒りを周りにまき散らすこともありました。

それは私にとって数少ない自己主張の手段で、悪意はなくただ苦しく寂しくて必死なだけなのですが、さすがに自分はどこかおかしい、とようやく考え出します。


優しさとヒステリーで翻弄する母、男の子が欲しかった父

そこに至るには両親との関係が大きな要因だったと思います。

母は料理上手で世話好きな優しい人でした。

けれどひとたび自分の気に入らないことがあると、とめどなく大声で怒りだし、ヒステリーを起こし、ものを投げつけたり、口を聞いてくれなくなりました。

そして機嫌が直ると、いつもの優しい母、私の味方の母に戻るのです。

私のちょっとした一言や行動で、母は怒り狂ったり、意地悪になりました。

いつの間にか、全身全霊で母の本意を探り、それを満たすことだけを必死に考えていたと思います。

父は、私を可愛がってくれていたと思います。ただし、気が向いた時に。

基本的に仕事一辺倒の人で、家に帰るとテレビを見て、私の話は聞こえていませんでした。

小学校で褒められた絵を父に見せたくて、「お父さん」と何度呼んでも気がついてくれなくて、一人でわんわん泣いたのをよく覚えています。

週末には家にいる父に話しかけても、疲れていると「うるさいぞ」と言われてそれっきり、不機嫌になると、とことん不機嫌でした。

父からはよく「お前が男だったらよかったんだがな」と明るく言われました。
多分悪気はなかったんでしょう。

私は、男の子だったら褒めてくれるのかな?と近所の男子と殴り合いの喧嘩をしたり、勉強で一番になろうとしたりして、とにかく強く、成果が上げられる人間になろうと努力しました。

愛されたくて、自分の意思を失った子供
…自分の気持ちや感情がわからない

親の意図を汲むことを優先して育った子供は、自分と親の意思の区別がつかなくなり、結果として他の人との境界線をうまく形成できないことがあります。

他人と境界線が引けないと、自分が何者なのかもわからなくなります。

また、親の機嫌が一定しないと、子供は地雷源を歩いている状態になり、何をやってもビクビクし、恐れ、いつも緊張するようになります。

私は割と器用なところがあり、自分を抑え込み、親の意図を汲むことを完璧にやり切ったようです。泣き方も笑い方も、もうよくわかりませんでした。

ただ愛されたかっただけ、そして自分を失ったのでしょう。

心理療法で親の精神的支配から脱却、反抗、少しづつ人間性を取り戻す

大学では結果的に心理学と教育学を学びました。

その中で、自分の価値観が親に支配されていて、自分の感情や思いをないがしろにしてきたこと、親の望む以外の自分でいてもよいということを初めて知ります。

そうだったのか!と心の底から驚愕しました。

ただ、理屈はわかっても、幼い頃から身につけてしまった思考・行動パターンでは、どうしたら心地よくいられるのかがわかりません。

お酒を無茶苦茶に飲み、親に対し凄まじい反抗期に突入しますが、親が怒り狂い悲しむのも辛いわ、腹が立つわという矛盾した気持ちに苦しみます。

自分を女性として認められない!

どこかで自分をダメな存在として否定しているので、女性性も受け入れられていませんでした。

若い頃は体の線が出る服や短いスカートは履けませんでした。

写真を撮るとき、自然な笑顔を作ることもできませんでした。

自分のことを大切にしそうにない人ばかりを好きになり、自分を大切にしてくれるである人のプロポーズも拒絶しました。

自分を取り戻す会社員生活、心理療法の探究へ

一般企業に就職しますが、会社は誠意を持って動いていれば、仲間として受け入れ認めてくれる場所でした。

ミスや間違いを犯しても、いきなり怒鳴り散らされたり、無視されたりしない。お互いフォローしあえる関係。

こっちが本当のあるべき人間関係だったんだ!と感動し、心からホッとしたのをよく覚えています。

ストレスが溜まりすぎると、トラブルを起こすことはまだたまにありましたが、その都度猛省して、徐々に人との適切な距離感を学んでいきました。

働きながら、論理療法、アドラー派心理学、箱庭療法、キネシオロジー、その他いろいろな形で提供されているカウンセリングやセラピー、いわゆるスピリチュアルや占いなど、役に立ちそうなものは何でも学び続け、笑うこと、泣くことを思い出していきます。

心理療法家=セラピストを目指す、
そしてビリーフチェンジセラピーとの出会い

30年もそんなことを続けるうち、生きることが本当に楽になりました。

心を開ける大切な友人も出来、恋愛もそれなりに楽しめるようになりました。

周囲を見渡すと、昔の自分のように、平静を装ってはいるものの、幼少期に親の残念な影響を受けている人がたくさん潜んでいることがわかってきました。

一枚皮をはげば、寂しくて苦しくて、不安でいっぱいの心を持った人たち。

思うように生きられていない人たち。そんな人の支援に回ろうと志します。

ただ、過去学んできた技法は、私が学んだ程度のレベルでは、どれも適用範囲が狭かったり浅かったり、複雑すぎたりして、決定力に欠けていました。

私自身もまだ回復できていない対人恐怖が残っており、特に初対面の人が多い集団に入ると緊張し、ギクシャクしてしまうところが不安でした。

そんな時に「ビリーフチェンジセラピー」に出会います。

たまたまデモンストレーション用のお試しセラピーを受ける機会があり、集団に馴染むのが難しいところを題材にしてもらったところ・・・

ものの10分で、その原因となっていた感情の塊が体感とともに解放され、その後集団への怖さが消失したのです。

私が求めていた技法として最後のピースがはまった瞬間でした。
その後、ビリーフチェンジセラピストとなります。

父母との断絶感を埋め、真なる父母を呼び戻す

ビリーフチェンジセラピーを学ぶと、まだまだ残っていた不要な思い込みや感情がたくさん解放されました。

さらに楽になった余裕のある気持ちで、自分の心をそっとのぞくと、なぜか荒涼とした荒野が潜んでいました。

私は回復の過程で、内面を支配してきた親を心の中で完全に排除し、土に埋めてしまっていました(ちなみに両親は健在です)。

私の深いところにある心は、そのことをとても悲しみ、罪悪感を持っていました。

気づいたのは、私たちは子供の心を一生持っていて、自分の親がどんな苦痛をもたらしたとしても、それでも親を深く愛し、愛されたいと、心のどこかで願っていること。

肉体を持つ親は私を傷つけるけれど、その真の魂は本当は私を愛している。

その存在を希望とともに再構築し、受けいれる。

傷を癒した後には、改めて父母の愛で自分を満たす必要性も発見しました。

その一連のイメージワークトレーニングで提供しています。

無双の自分へ

その魂の親の存在を迎え入れた時、本当に曇りも苦痛もない、平穏かつ勇気に満ちた無双の自分が立ち上がりました。

もちろん人生に困難と挑戦が終わることはありません。

でも、誰と比べるでもない、ただ自分に満たされた自分のまま、静かな気持ちで真っ直ぐ立ち向かうことが可能なのです。

心理療法はこんなことも可能なのかと、静かな感動と感謝を感じます。

もしあなたが興味を持ってくださるなら、あなたの旅路にご一緒させてください。